2011年11月29日火曜日

「文化を伝承していく」ということ

 本日来店されたお客様から、「いくらデータを残しても、文化を守ることは出来ないんだよね、やはりそれを伝承して行く人がいないと文化は廃れていくんだよ。いくら詳細なデータを残しても、いったん伝承者がいなくなって、途切れてしまった文化を元通りに復元することは、とても難しいんだ。だから、麩屋平のことも年配の人で詳しく知っている人がおられるのならば、今のうちに詳しく聞いておいた方がいいよ。」というお言葉をいただいた。
そのお客様は、とある大学の講師で芸術関係の仕事をしているらしい。
もともと理系だった私がこの言葉を聞いても数年前なら頭を素通りしていったであろうが、今このような言葉を聞くと妙に納得する自分がここにいる。
今は亡き父親に教えてもらった自分の持つ調味包刀之業(調理技術)の価値を再認識するとともに、麩屋平に関わる方々から、出来るだけ多くのことを聞いて、記録と記憶に残し、この文化を伝承して行くという役割を十八代目当主として果たさなければならないということを再認識する一日となった。

2011年7月13日水曜日

懐石と会席

懐石料理と会席料理の違いについて、ふや平第十五代当主、神宮晴三郎が昭和42年に山陽新聞に掲載したコラムを引用したいと思います。

「懐石と会席は同音のところから混同されがちだが、会席は本膳を簡略にした酒宴の料理であり、懐石は茶の湯の前に出す簡単なごちそうで、特に茶懐石とよんで区別する。このように懐石料理は茶の湯と共に発達したもので、あくまで茶が主であって懐石は従だから、はじめに十分な量の料理を出すと、後でさしあげるお茶がまずくなってしまう。従って懐石料理は腹八分目というか、ふところに小石を入れた程度がちょうどよいという意味から懐石の語が生れたといわれる。
 懐石にはずいぶんと面倒な作法があって、むずかしいものと思われがちだが真の懐石の心は決して趣味的なものでもなければ、ぜいたくを尽くしたものでもない。時期はずれの珍しい促成野菜や、高価な材料を使う必要は決してなく、一般家庭のお総菜に使う材料でよい。要は季節に合った良質で新鮮なものを選び、ことさらに手数をかけたり細工をしないで材料の素朴な味を生かすことが大切だ。
懐石を今日のような一応の形に定めたのは利休居士で、元禄のころ料理茶屋がおこり、料理に懐石風が取り入れられて現在の姿になったわけだが、本来の姿は家庭に客を迎えて主婦の手料理でもてなすもので、懐石は日本料理の中で、家庭料理にもっとも近いものなのだ。」



と、まあこんな感じですが、懐石と会席の違いに付いては、料理を提供するシーンの違いみたいですね。


料理そのものに関しましては、現代風に言うと、旬の材料の持ち味を生かし、あまり手をかけすぎずにシンプルな料理が一番いいということを言いたかったのだと思います。
 
 先代である私の父親も、「料理はシンプルなのが一番えんじゃ〜」と口癖のように、いっておりました。


 そういう料理に対する考えは、現当主の私も同じ考えでありまして、今の世の中はいろんな味の料理が楽しめるようになりましたが、結局は素朴なシンプルなものがよいのかなあと
十八代目としても同感といたすところであります。

2011年7月11日月曜日

創業400年の老舗

精進・懐石 ふや平は、岡山藩初代藩主、池田光政が鳥取から岡山へのお国替えの際に付いてきた商家の一つといわれています。創業は寛永十三年(1636年)になっています。
この当時から、ふや平は料理業を営んでおり、池田藩が先祖を弔う際の料理(今でいう法事の料理)を受け持っていたといわれています。
当時は仕出しのみで営業をしており、岡山の神社仏閣に対して主に営業を行っていたものと思われています。
当店は、この流れを引き継いでいるためか、今でも御法事に当店を利用されるお客様が多くなっています。
近年は、仕出しのみならず、来店して料理を召し上がって頂くこともできます。