おはようございます。
今日から啓蟄です。
啓蟄とは、地中で冬ごもりをしていた虫たちが、
土を啓(ひら)き、這い出してくる、、という意味。
この場合の虫は昆虫のみでなく、蛇や蛙、蜥蜴(とかげ)
など、土に潜んで冬を過ごす様々な生き物を指すとされ
ます。
(写真は麩屋平の外に咲いている梅の花)
2013年3月5日火曜日
2013年3月3日日曜日
上巳の節句
今日は上巳の節句。
平安時代の初め頃、草や紙などで人の形を作り、川や海に流し、子供の無病息災を願ったのが、雛祭りの始まりと言われています。
現代のように雛人形を飾るようになったのは、江戸時代以降のことだそうです。
平安時代の初め頃、草や紙などで人の形を作り、川や海に流し、子供の無病息災を願ったのが、雛祭りの始まりと言われています。
現代のように雛人形を飾るようになったのは、江戸時代以降のことだそうです。
2013年2月27日水曜日
2013年2月24日日曜日
蛤について
女の子のお祝いである雛祭りで、供え物とする縁起のよい蛤。
ペアになっている殻以外とは、ピッタリと形が合わないという性質を持っている。
そのため、蛤は、幸せな結婚の象徴となったり、夫婦和合の象徴として婚礼の祝事に用いられたりする。
ペアになっている殻以外とは、ピッタリと形が合わないという性質を持っている。
そのため、蛤は、幸せな結婚の象徴となったり、夫婦和合の象徴として婚礼の祝事に用いられたりする。
2013年2月22日金曜日
2012年8月9日木曜日
「ゆばの奥田屋」さん工場見学の感想
(上の写真は兵団にある奥田屋さんの小売の店です。)
今朝、工場見学をさせていただいた「ゆばの奥田屋」さんです。
明治10年創業のお店で、当店とは昔から取引させて頂いている業者さんの一つです。
今の現社長は三代目だそうです。
この度、社長さんにお願いして、私は本日始めて、赤磐にある工場を見学させていただきました。
機械を積極的に導入されて、とても効率良く作業をされていましたが、肝心要なところは、すべて手造りで行われているところに老舗の力を見ることができました。
また、社長さんとも30分ほどお話が出来て、とても光栄でした。
実際に老舗を営み続けて、発展させている社長さんの話は、静かな物言いの中にも力強いものがあり大変刺激を受けることができました。
中でも「自分の代になってからは、毎月10アイテムの新商品を開発していきました。」という話は印象に残りました。なので、現在の商品アイテム数は数千にのぼるそうです。
肝心なところは守りながら、なお且つ時代に合わせて、お客様のニーズに答えていくという三代目社長の想いが従業員の皆様の心に、また工場に反映されて形になっていく・・ 湯葉一筋に百十余年の老舗が今なお発展し続けている姿を目の当たりにすることができました。
今朝、工場見学をさせていただいた「ゆばの奥田屋」さんです。
明治10年創業のお店で、当店とは昔から取引させて頂いている業者さんの一つです。
今の現社長は三代目だそうです。
この度、社長さんにお願いして、私は本日始めて、赤磐にある工場を見学させていただきました。
機械を積極的に導入されて、とても効率良く作業をされていましたが、肝心要なところは、すべて手造りで行われているところに老舗の力を見ることができました。
また、社長さんとも30分ほどお話が出来て、とても光栄でした。
実際に老舗を営み続けて、発展させている社長さんの話は、静かな物言いの中にも力強いものがあり大変刺激を受けることができました。
中でも「自分の代になってからは、毎月10アイテムの新商品を開発していきました。」という話は印象に残りました。なので、現在の商品アイテム数は数千にのぼるそうです。
肝心なところは守りながら、なお且つ時代に合わせて、お客様のニーズに答えていくという三代目社長の想いが従業員の皆様の心に、また工場に反映されて形になっていく・・ 湯葉一筋に百十余年の老舗が今なお発展し続けている姿を目の当たりにすることができました。
2011年11月29日火曜日
「文化を伝承していく」ということ
本日来店されたお客様から、「いくらデータを残しても、文化を守ることは出来ないんだよね、やはりそれを伝承して行く人がいないと文化は廃れていくんだよ。いくら詳細なデータを残しても、いったん伝承者がいなくなって、途切れてしまった文化を元通りに復元することは、とても難しいんだ。だから、麩屋平のことも年配の人で詳しく知っている人がおられるのならば、今のうちに詳しく聞いておいた方がいいよ。」というお言葉をいただいた。
そのお客様は、とある大学の講師で芸術関係の仕事をしているらしい。
もともと理系だった私がこの言葉を聞いても数年前なら頭を素通りしていったであろうが、今このような言葉を聞くと妙に納得する自分がここにいる。
今は亡き父親に教えてもらった自分の持つ調味包刀之業(調理技術)の価値を再認識するとともに、麩屋平に関わる方々から、出来るだけ多くのことを聞いて、記録と記憶に残し、この文化を伝承して行くという役割を十八代目当主として果たさなければならないということを再認識する一日となった。
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